放送大学全科目感想 003 音を追究する(‘16)

  • 人間と文化コースなど(他コースでも共通)
  • 総合科目
  • ラジオ講座
  • 大橋理枝先生(放送大学教授)
  • 佐藤仁美先生(放送大学准教授)
  • 岸根順一郎先生(放送大学教授)
  • 高松晃子先生(聖徳大学教授)
  • 亀川徹先生(東京藝術大学教授)
  • 坂井素思先生(放送大学教授)
  • 難易度 ★★☆☆☆(放送授業は★☆☆☆☆)
  • おすすめ度 ★★★★★

あちこちに貴重な音が入っているので倍速再生するのが勿体無い科目。放送大学ではおなじみの大橋先生と佐藤先生が聞き手になるラジオ番組形式のため、非常に聞きやすい。文理横断型の総合科目で、音に関して幅広い知見が得られる。個人的には理系の話が基本的すぎて物足りなかったけど、あんまり専門的にしても聞き手がついていけないからしょうがない面がある。印刷教材でも特に岸根先生の回の記述が控えめになっており、他の人と同様にもっと突っ込んでほしかった。放送授業のおすすめは6-8回目の高松先生担当の講義で、演奏例が非常に豊富で面白い。

第1回

イントロ。まずは先生の紹介。

岸根先生は物理学の先生。合唱団所属のこと。音波という観点から教えてくださるそう。バッハ無伴奏パルティータが好き。ギター編曲もあるらしい。蚊の羽のうなりがにがて。

高松先生は音楽学。古いオルガンの音が聞こえてきたのを耳コピしてたり、吹奏楽と合唱を経験している。私と同じやん。イギリス音楽がご専門。馬の蹄の音を聞かせてくれた。周期的だが全く同じではないところが好きだそう。電車の発車音が途中で切れるのが苦手。最後までやれよ!と言う気になるらしい。

亀川先生は録音が専門。吹奏楽とオケ部に所属。企業→大学へ。好きな音は色々考えた結果、笹が風にそよぐ音を聞かせていただいた。窓ガラスを引っ掻く音はいや。

酒井先生は経済学の先生。経済と芸術の関係、運営など社会科学的アプローチも取っているそう。好きな音は弘明寺の除夜の鐘。落ち着くし共同体を連想させるし、音は人によって捉え方が違うのにみんな同じ音だと思っているのは何故か、を考えると楽しいですよねとおっしゃっている。苦手なのは国民保護サイレン。なんですかそれ。わざと不気味に作ったらしい。

佐藤先生は臨床心理学が専門、っていうか心理士。自分の語りがクライアントに影響を与えるので、音が重要だとおっしゃる。好きなのは沈黙。音のない音も重要とのこと。亀川先生も同意している。苦手なのも静寂。

大橋先生は異文化間コミュニケーションが専門。レコードをお父さんがかけていたので音楽には馴染みがある(環境は大事だな!!)。コミュニケーションで音声を使うことに興味がある。好きな音は波。海が遠かったので海が長期休みと結びついてるらしい(わかる)。掃除機の音がダメ。掃除も嫌い。

岸根先生の伝えたいこと。音波は空気の振動。音波と私たちの感じる音は別ものということ。プラトンとアリストテレス、ピタゴラスの話をしてる。アリストテレスは現象、ピタゴラスは物理的にとらえてる。

佐藤先生は認知心理学の知見から、インプットに対する感じ方の違いと違いを感じてほしいそう。

高松先生は楽器の話、縦と横の関係?の話で、音楽をたくさん聞かせてくれるそう。

亀川先生は音の響きと部屋、身の回りの音、記録された音と技術的な話。

大橋先生は、言語と音の関係の話。放送教材の特性を生かして実例をたくさんきかせてくれるそう。

酒井先生は社会、共同体と音の関係。教会やお寺の鐘、歴史的な事件と音の関係。音から共同体の意識ができていく過程について。うるさい、不快な音について。なぜ不快なのか。どう言う理由があるのか。

大橋先生は聞こえていない音を聞くのでなく聞こえてる音に気をつけてくれ、とのこと。好ましくない音が気になると大変なことになってしまう。

高松先生。大学院生のとき、小道沿いに小川が流れていた。夜真っ暗だったとき、小川の音が大きく感じた。音が道しるべ+警告音になるので真剣に聞いたそうです。

アツい教科ですね。音楽をスキップすると勿体無いので、次回からは等速再生にします。

第2回

岸根先生が物理的な音についての説明をする回。

まずは光と音の共通点と相違点について。音は人間が出せるけど光は出せない。光はシャットアウトできるけど音はできない。たしかにそうだね。音も光も見えないから、物理学的には水の波のアナロジーでいろんなことがわかっていったらしい。音は媒質が必要だけど、光はいらない。これは物理学的には大問題だったらしい(音と関係ないので話はここまで)。光について学ばなくてはね!

ドップラー効果の音聴かせてもらった。

音の波長は日常のスケール。数センチ~数メートル。だから、日常に存在する障害物にあたった時大きな影響をうける。波の回折という。コンサートホールの壁のヒダを見るとちょうど1メートルくらいで、音をかなり吸収する。障害物が大きすぎても小さすぎても影響はない。

波の干渉について。2つ干渉するともう原型をとどめないような形になる。楽器の波は干渉によって豊かな音が作られる。

音の規則性について発見したのはピタゴラス。金槌の音やゴム紐を使って数学的な規則を見つけていった。ピタゴラス音階というのもあるらしい。プラトンとアリストテレスも音の考え方が違う。プラトンはイデアの人なので厳格な440hzはあるとみなすが、アリストテレス は現象密着の人なので無理、数学は使わないぜという。アリストテレスのせいでルネサンスまで数学的な考え方はお預けとなった。ありゃりゃ。ガリレオが現象と数学の融合を取り戻した。

耳が感知できる音圧は20マイクロパスカル。1平方メートルに蚊が1匹に相当する鋭敏なセンサー。ウェーバーフェフィナー?によると感覚機能は割合、比でしか分からない。対数の世界になる。音圧はデシベル(対数)で考えてる。物理学では説明できない。謎。

媒質の話。酸素窒素の混合でなければ音の伝わり方は違うだろう。ファインマンがひとつだけ後世に残すとしたら、全ての物質は原子からなる、と残すという。コップ一杯の水を全世界の水で薄めてもう一度掬うと、さっきのコップの水の分子が100入っている。ヘリウムで声が高くなるのはヘリウムが軽く、音速が速くなるかららしい。3倍くらいになる。

第3回

音の認知を生理学・神経学的観点から。佐藤先生の担当。まずは生物で学んだ耳の機能のおさらいから。

耳鼻科の先生に話を聞いてる。妊娠3か月でもう耳(耳介)ができてるらしい。耳介では音の方向を感知するが、人間は耳介を動かせないので、自分で体を動かさないといけない。でも学習でも音の方向は学べる。耳は2つなのに上とか下とかもわかる(すごい!)。外耳道は3khz〜4khzの音がよく聞こえる。大きさ的によく共鳴するため。騒音に晒されるとここの神経がダメになって難聴になる。それで聴力検査は1khzと4khzの音を聞き取るようになってる。

中耳。蝸牛と耳小骨の関係の話。耳介は鼻と繋がって換気をしている。鼻を閉じて何度も唾を飲むと聞こえにくくなる。鼻と繋がっている耳の気圧が下がるから。鼻が詰まってる時と同じ。鼻水が中耳炎を引き起こすメカニズムも同様。

内耳。蝸牛と前庭と三半規管。蝸牛は螺旋状で3cmほど。蝸牛菅にはリンパ液が入っている。蝸牛内の毛が周波数ごとの音を担当している。三半規管。体が回転したらリンパ液の回転を検出する。眼球とも関係している。前庭は方向、傾きを感知する。リンパ液の働きは多様だな。

聴力検査。音の強さはPaとdb。ホンは聞こえの大きさ。年齢を重ねると高音域から聞こえなくなる。そうするとまず子音が聞こえなくなる。音はわかるが何を言ってるかわからない。若いうちに色々聞いておかなきゃだめだね。標準検査では125ー8000hzまで聞かせる。実際の音を聞いた。500、1000、2000、4000、8000hz。最後のはだいぶ高い。16khzはさらに1オクターブ上か。ひらがなの文字を書かせる検査もある。

伝音性難聴と感音性難聴。前者は鼓膜まで音が伝わらないこと。中耳炎、耳垢でも起こる。中耳炎は子供は気が付かないので注意。後者は蝸牛から神経までの伝達がうまくいかないこと。突発性難聴、メニエール病が代表的。老人性難聴もそうで、コミュニケーションが嫌になり認知症の原因にもなる。補聴器、人工内耳は必須!

耳鳴り。他の人が聴こえる耳鳴り、聞こえない耳鳴りがある。生理的なものはキーンとなったりするやつ。病的なものは脳血管障害でも起きる。治療は早めに。内服薬でも治ったりする。トレーニングでも治る。カウンセリングと組み合わせる。頭がなる頭鳴というのもある、原因はよくわからない。耳鳴りを作曲したのがスメタナの弦楽四重奏第一版最終楽章。聞かせてもらえる。あとシューマン交響曲第2番第一楽章冒頭のトランペット。けっこう耳鳴りに悩まされた作曲家は多い。

第4回

(今回からランニング中に聴くため感想が簡素になります)

音楽と感情の関係について。心理士の星先生を交えつつ、佐藤先生と大橋先生がいろんな音楽を聴いて対談する回。

まずは音楽は感情を伝える要素が大きいということ、そして感情の伝達は音楽体験に左右されないということを学ぶ。そしてチャイコ、ショスタコ、ベートーヴェンの曲を実際に聴いて佐藤先生と大橋先生の感想を聞く。音楽は感情を大まかには伝えられるが、ディテールは背景や歴史を知らないと伝わりにくいこと、最後に音楽はスキーマにのっとって解釈されることまで学ぶ。

上昇・長調→明るい、下降・短調→暗い、というスキーマが私達にはあるが、例えば民謡は短調なのに明るい。マイムマイムを思い起こすと、めっちゃ単調だがキャンプファイヤーで盛り上がるときの曲だ。大橋先生の教養が光り、あれはユダヤ民族の水が出てうれしい時に歌う歌だと明らかになる。さくらさくらの演奏も大橋先生のファゴットが光る。とても楽しい回でした。

第5回

岸根先生が音波の物理的性質について解説する回。縦波と横波、振動数や波長などについてのいわゆる高校物理的解説がメインだが、フーリエ分解などにも踏み込む上にとても分かりやすい。こんな風に講義してみたい。純正律と平均律の違いにも触れる。グレゴリオ聖歌と平均律クラヴィーアも聞かせていただける。グレゴリオ聖歌って純正律だったんだ。

だいたい知っていることだったので1点驚いたことだけ書くと、ニュートンは音速を280m/sと導出したがこれは間違いで、ラプラスにより330m/sと改められた。これは空気をニュートンは等温変化すると仮定したための誤りで、正しくは断熱変化だったからだという。断熱変化はポアソンの式、等温変化は内部エネルギーが変化しないことあたりを使えばこの1.2倍程度の差が説明できるのかなぁ。いずれやってみたい!

第6回

高松先生による楽器の話。今回は今までで一番実例が豊富で、聞いていて飽きない。

楽器の分類法から、どうやって楽器が音を変えているのかに踏み込んでいく。ホルンの構造に一番時間を使っている。印象的だったのは調和を尊ぶ西洋音楽は実は特殊だってこと。アフリカ、アジア、どの地域もノイズを効果的に用いたり、不調和なのを楽しんだりする音楽が多く、そしてこれが世界では多数派だということ。

とにかく実例が楽しい。三味線はかっこいいし、スーホの白い馬でおなじみ馬頭琴も聞けるし、ジンバブエのムビラやインドネシアのガムラン音楽で使うサロンの実例まで聞ける。これ全部揃えてる聖徳大学ってすごいんじゃ。

ムビラ

Mbira music master piece Live – YouTube

ガムラン

Sound Tracker – Gamelan (Indonesia) – YouTube

かっちょええ

第7回

高松先生による声の話。まずは裏声、地声の話。裏声の例としてカウンターテナーが出てきたけど、日本で有名なのと言えばこれだよね

もののけ姫 – YouTube

地声のブルガリアの民謡も超いけてました。私の知ってるこういう系だとウクライナのdakhabrakhaですかね。

DakhaBrakha – Monakh – YouTube

高松先生は東洋西洋アフリカ問わずフラットに紹介してくださるのですが、西洋音楽を改めて聞くとなんでも西洋音階に押し込めてしまっていて、なんだか貧弱に聞こえてしまうのですよね。ただこれは私が最近西洋をdisっているから思っているのであって、西洋現代哲学マジつまんないなと感じていることから発しているという自覚もありました。

で、最後の方に西洋的発声かつ東洋音階の声と、西洋的音階の東洋的楽器の融合した曲を聴いて、ああなんて浅はかな考えをしているんだ、音楽っていうのはそれぞれがそれぞれのf(x)を使って自らの表現したいことを写像にしてるんじゃん、f(x)に優劣つけるなんて実にばかげたことだなと思いました。そしてラストはドビュッシー。きれいですねー。西洋音楽disっててすいませんでしたごめんなさい。

第8回

高松先生による音の縦と横の話。縦も横も時間軸の話なのだけど、縦は五線譜上のみんなの音、横は和声とか曲の進行上の話。縦を合わせるのは音程の時と同じで、西洋だけ。いかにずらすかで優劣の決まる音楽もあるらしい(ミャンマーが例にされてた)。確かにな―日本の音楽もずれずれじゃん。

講義の目玉はライヒのPiano Phaseを聞きながら3人でニコニコ生放送みたいなことをしてるやつ。その名の通りピアノ2台の位相をずらしていくのだけれどスピーカー2人の感じ方がライブで伝わってきてすっげー面白いし、私とも感じ方が違うので、ほんと音楽ってのは個人個人の資質や歴史によって受け取り方がガラッと変わるんだなと実感した。

Piano Phase visualization – YouTube

↑Piano Phaseを映像化したやつ。たのしい!

第9回

亀川先生の響きについての話。無響室のトランペットの音を聞いて、リバーブをかけた音を聞く。最近の音響技術だと、人工的なリバーブは簡単な計算で得られるから楽みたい。コンサートホールの話がメインで、みんな詳しい。佐藤先生による感覚遮断室の話もある。

ちょうどよい残響を得るために現代ではいろんな工夫がされていることが分かった。スピーカーで残響を継ぎ足したりもしているらしい。あと、ロックとオケでは求められる響きも全然違うことも、言われてみればそうかと思ったが、意識したことはなかった。地元の中程度のホールだと、どちらのコンサートでも対応できそうな感じがする。

第10回

亀山先生の録音についての話。デジタルとアナログの話はだいたい知ってたし、デジタル録音が瞬間瞬間の写真のコマを並べたやつってのは先生それちょっと違います(音は1次元表現なので)って思ったけどわかりやすくするためにはアナロジーとしてはしょうがないかな。

エジソンの人類初の録音が聞けたのはとても楽しかった。そして佐藤先生が「メリーさんの羊だ!」って即座にわかるのすごい。

デジタル録音とアナログ録音によって録音機材の使い分けがされているというのも面白い話だった。アナログは音がなまる(マイクがしょぼいのと、テープが特性的に高周波数帯を記録できないからだろう)から高音域を高めに記録する必要があったこと、デジタルはデジタルで三味線とか耳に響く音が減衰しないのでつらいこと、人類がみなヘッドホンで音楽を聴くようになったからまた録音が変化してきたことなどを教わった。

第11回

言語の音について。序盤に大橋先生が発音の構造を簡単に説明したあと、中国語の先生をお招きして中国語の発音の仕組みを詳しく解説する(印刷教材に未収録)。

中国語は母音、子音のほかに声調があるのが特徴。これは昔の中国語は1字1意味にしたい、同音異義語を作りたくない気持ちが強かったので、できるだけ音節の種類を増やしたいという事情がある。今の中国語は相当単純化されたらしいが、声調は4種類なので単純に母音*子音のさらに4倍の種類がある。中国語は勉強したことがあるけど、同音異義語がかなり少ないので、文脈があればまず意味のあいまいさに悩まされることはないと思う。

言語と発音は切り離せないので、英語やフランス語、ドイツ語の発声はまじめに練習しないとだめだなと感じた。今まで伝わればいいじゃんって軽視していた。

第12回

言語学の先生をゲストにお招きして、オノマトペの話。ざっくり、オノマトペは音を転写した側面もあるが言語文化に左右されるよね、ということだった。

言語について考える。たとえば「りんご」という単語とりんごそのものには全く相関関係や因果関係がない。同様にオノマトペだって「ざわざわ」という単語と騒がしい感じって全く因果性がない。そう考えると言語って全てが恣意的なもので、変わりうるものなんだなーと思った。「ざわざわ」を例に出したのはこれカイジで生き死にがかかっている緊迫感を出す効果音として使われているから。だからカイジ知ってる人が「ざわざわ」を見たら「あっ死ぬかもしれない」っていう感情が想起されるわけでしょう。人によっては「High & Low The Worst」の略を「ざわ」っていう人がいるから「ざわざわ」を見たらイケメン集団のイメージが想起される人もいそうだ。

こんな風に言語は恣意的で人類普遍性がないから、あとは経験則で攻めていくしかない。音と経験を強引にでも結びつけるのは使用による反復。で、その反復による条件反射がないと私たちは生きていくこともできない。けっこう危ういものに頼っているように見えるけどなかなか強力で、不思議な感じがする。

第13回

坂井先生の担当で、音と社会について。渋谷区で17時に流れる夕焼け小焼けを聞く。都会ほど防災無線でこういうの流してるらしい。確かに今住んでるところや田舎の実家では聞いたことない。杉並区とか、八王子のニュータウンでも流れてたな。共同体意識の希薄なところほど、共通の音楽を聴いて共通の意識を持ってもらうという意味合いがあるらしい。

音が文化的観念を作るという例としてチャイムや寺の鐘が有名。寺の鐘については江戸時代は毎日2時間ごとに鳴らしてたという話が驚き。たしかにどの小説にも○○の刻って書いてあるけどどうやって知るんだ?時計ないのに?って思ってた。そーだったのか。

決まった時間や決まったタイミングで音を鳴らすのは生活習慣強化な意味合いも強そう。12回の話を出すなら、音と生活には全く必然性はないわけだから、わざと音を鳴らして生活を規律することもできるわけだよね。例えば毎日20時半に蛍の光かけて子供寝かすとかできるんじゃ。。

第14回

坂井先生の騒音の話。音を騒音と感じるかどうかには主観的な要素が大きい。単純な音の大きさではなくて、毎日の繰り返しや、自分にとって意味のある音など、気になると騒音になるという面がある。

でも規制するには基準を作らないといけない。とりあえず大きさが一つの尺度になっている。気になるかどうかは個人間で何とかするしかない。

大橋先生が保育所の泣き声を騒音として録音していたのでちょっとうっとなったけど、どうも建設中の騒音が結構デカかったのが原因らしいと後でわかった。建設音はみんないやだよね。それと結びついたら、建設音が思い出されていやになるかもね。

第15回

まとめ。全員大集合して感想大会だった。

みなさん、他分野への尊敬がすごいです。全員が「考え方が広がった」と言った。

ただ大橋先生だけちょっとひっかかって、「デジタルって情報を減らすことなんですね」と言っていたがそれは言語学だって同じだと思う。文系理系問わず学問というのは情報量を減らしていく学問のはず。減らしたとしてもその間に複雑な関係がいっぱい発生するから、学問って面白いわけじゃん。岸根先生が「私の分野は現象を記述するだけですので」とめっちゃ謙遜して物理学を捉えているのに対して、文系の先生方って理系分野を敬して遠ざけているような感じ。理解しようと思ってない。なんでなんや。

“放送大学全科目感想 003 音を追究する(‘16)” への2件の返信

  1. 受講を検討中です。「文系の先生方って理系分野を敬して遠ざけているような感じ」ならモヤモヤしますが、編集の問題かもしれず、なにより話が面白そうなので放送大学の初体験には好適におもえました。
    ありがとうございます。

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