- 大学院情報学プログラム
- ラジオ講座
- 仁科エミ先生(放送大学教授)
- 河合徳枝先生(国際科学振興財団上級研究員)
- 難易度 ★★★☆☆(暫定)
- おすすめ度 ★★★★★
主に脳科学の知見を基に、音楽を情報学的に捕えようという目的の講義。2-4回のゲストの脳神経科学者の本田先生の講義がもうそれは衝撃的なので必聴。人類に自己解体モードという遺伝子プログラムがあることを知った。
河合先生がバリ島のフィールドワークをやっていた関係でバリ島の音楽がいっぱい聞ける。あと仁科先生は高周波の話をいっぱいしてくれるので高周波を含む尺八やら三味線やらいもいっぱい聞ける。
ハイパーソニック・エフェクトという、人類発祥である熱帯雨林での音にたくさん含まれる、20Khz以上の高周波が人間にもたらす影響と可能性について数回にわたりアツい講義がなされる。
第1回
本講義の目的は、脳科学を橋渡しとして、音楽を情報学的側面から論じるということだそういだ。いわゆる学際科目。仁科先生は音楽と環境の関係を調べている人らしい。音楽は、脳の報酬系を直接刺激するという所に特徴があるらしい。言われてみればそうかも。
私は放送大の卒業研究でちょうど音楽を情報学の立場から研究しようと思っていたので、そのものずばりという感じのテーマ。テキストも買ったので極めていきたい。
本講義も音を研究するの時のように、音楽の例を示してくれるし尺も長い。今回はブルガリアとジョージアの伝統声楽を聞かせてもらった。
ウェーバーが(またこいつか)、研究者になりたかったら他分野には目隠しをして自分野の研究に邁進しろということを言ったらしい。近代科学はそうやって発展し、精度はいいが役に立たないタコツボ研究が多数生まれた。現代ではこいつをまとめ上げて、他分野も積極的に取り込んでいくことが望まれている。私も広く深く(×浅く)統合的に学問をやっていきたいのでがんばろう。
第2回
国立神経医療センターの本田先生による講義で、脳神経系の基本的な仕組みと感性情報の需要について。
神経伝達の仕組みを聞いた瞬間に「あれこれデジタルじゃん」と思ったが「デジタルとは違って・・・」と即座に否定されたので疑問が残った。テキスト見てちゃんと勉強しよ。
要するに受容器が外界の刺激を電気信号に変換してナトリウムやカリウムのイオンの濃淡を使って伝えてるんだよね。神経伝達自体はアナログに見えるけど、やっぱネットワークの複雑さが人間の複雑性を表してるんかな。デジタルはネットワークが2層になった瞬間に計算量がバカみたいに増えるからきついもんね。
見る、聞くという行為は頭の中にモデルがあって、それとの差分を使って判断しているらしい。脳神経系の話を聞いていると仮想空間の中に生きている気持になる。学者さんの世界観ってどうなってるんだろう。
本田先生はイケメンです
第3回
脳の情動神経系と音楽との関係について。今回は衝撃的だった。
生物のモードには3つあり、ストレスの少ない通常モードと、ストレスの大きい適応モード。ここまではわかる。3つめが、ストレスが大きすぎて耐えられないので自己分解するモード。要するに自殺。ストレスが高まりすぎると、自己破壊することに快感がでるように生物ってプログラムされているらしい。これは聞いたことのある激しいうつ病患者さん(n=1)の実体験とも一致している。自分でエネルギーを使うよりも、他の生物にエネルギーを残してあげたくなっちゃう(=食べてくれってこと)んだって。
マジで衝撃だった。医師って全員多分これ知ってる。
あとは感性と理性と情動・感情の関係。一般的には理性と感情が対立する概念ととらえられているけど、そういうわけではない。一体化・階層化したシステムととらえるのが妥当で、基本的には情動→情動→感情→行動出力という回路がメイン。理性は感性からの入力を処理して、情動・感情にポジティブ・ネガティブなフィードバックを送ってやるのが仕事なので、講義でも言っていたけど、理性は感情のしもべです。理性が偉いとするのは間違い。
で、以上のことを前提として音楽を捉えると面白いよね!って話だった。
第4回
音楽の特性を情報学的にとらえる回。今回も本田先生の講義。第2,3回を前提に、ここが本番って感じ。
西洋音楽の音の捉え方は、音符と音楽が1対1に対応しているという考え方。これは脳の構造と一致していない。音符と音楽の最大の違いは、離散か変化かということ。音楽は時間的変化という最も重要な要素があるのに、音符は離散的で、時間変化の要素が抜け落ちている。そして脳は、時間的変化の方を捉えやすいという特性がある。
理性って、現実を写像して単純化しがち。複雑性をとっぱらって、簡単に理解しようという気持ちがある。全体を見ないで細部を見がち。全体を見たほうがおもしろいのに。ロマン派の音楽って普遍的にみんなを感動させるのに、現代音楽や現代哲学ってこまこましてつまんねぇでしょ。現代美術も同じだと思う。西洋的な考え方はもう古いんじゃないの。
あと、研究テーマは音楽理論をベースにと思っていたけど、没だね。離散化した情報では音楽を捉えられない。むしろ時間的変化、微分でミクロを捉えつつ、全体をマクロでとらえる、重層的アプローチがいいのではないか(具体的にはどうしたらいいかわからんが)。
最後に絶対音感の話。絶対音感は、西洋12音階になるように脳を訓練することで修得する。すると、右脳が委縮するらしい。なぜなのかは言われていないが、音を12音階に強引に四捨五入みたいなことをするわけであるから、音の情報量を減らしてしまうわけだよね。音の言語化が西洋のやってることで、言語化は情報の省力化、デジタル化といえる。デジタル化は情報量を増やして近似することはできるが近似が限界で、自然界の完全なる模倣ではない。物理学もそこのところは認めている。省力化して情報を切り捨てるのは正直言ってバカになるってことだと思う。要するに理性はバカ。理性を崇拝する論調は強いけどそこんとこよく考えたほうがいいと思う。
第5回
音楽を可視化する方法について。今回からは仁科先生の担当。本田先生とはちょっと違い西洋批判トーンは控えめで、離散的な音楽の捉え方には普遍的な面もあると主張している。どこの文化でも楽譜を作ろうという気持ちがある、音階がある、つまり音楽をとびとびの値で把握しようという傾向が人間の生物的な何かと合致しているということである。楽譜は視覚優位で、これは西洋の特殊性を表しているそうだ。
高速フーリエ変換と最大エントロピースペクトルアレイ法の違いを説明し、さらに後者から、離散的な音楽の捉え方には限界があることを指摘。結局本田先生と同じ結論じゃん。
第6回
ハイパーソニックエフェクトについて。人間の耳は20kHzまでしか聞こえないと言われているけど、40kHzなどの超高周波を聞いた場合に脳にプラスの影響があるという発見の話。視床下部と報酬系に時間差で効くらしい。報酬系は時間差だけでなく持続するのでとても効果が高い。同時に、時間差と持続のせいで、何が原因なのかわかりにくくなるため今まで見逃されていた。
レコードの時代は高周波を入れられたため、わざと高周波を強調すると心地よい響きがすると好評だったという。ガムラン音楽や尺八などだと出る。オケやピアノは出ない。やはり、西洋のデジタル的な認知様式がここでも邪魔をしている。
ハイパーソニックは体の表面で聞くそうだ。でも可聴音と同時に聞かないと意味がないらしい。
いままで正直言ってハイレゾはバカにしてたけど考えを改める必要がありそうだ。生音は大事なんだな。
第7回
日本の伝統楽器について。尺八と三味線がどんだけ高周波を含んでいるか、演奏によってどんだけ微妙な音を出せるかという話。
ただ尺八単体だとどんだけスーパーソニックだと言われても全然ありがたみがわからない。わたしたちは西洋の音楽スキーマに慣れすぎてるんだ。
最後にノヴェンバーステップス聞いたけどやっぱりなんもありがたみがわかんない。尺八と三味線のパートはかっこいい。オケはいらないと思う。なんで合成したんや。西洋人に褒められてもうれしくない。
第8回
河合先生にバトンタッチ、共同体を支える音楽について。バリ島を中心とした実例がいっぱい。
そもそも実生活と切り離された純粋芸術としての音楽ってのは珍しいという話だった。アジアアフリカ圏では音楽は生活の一部だし、みんながやっている表現の一手段であって、聞かせることを想定していない。ここでも西洋の特殊性が強調されてる。パートごとに難易度が分かれていて、だれでも参加できるようになっている仕組みもある。日本だと祭りの一部分って感じなのかな。
ユニークな音楽としてケチャが紹介されてた。IIDXであったな―懐かしい、ダンスミュージックと融合したやつがあった。今思うとオリエンタリズムだけど結構好きだった。
Kecak – John Robinson – YouTube
第9回
人類に約束された快感?について。第3回の本来・適応・自己解体の生物モデルを基に、これを音楽に適用するとどうなるか。
本来→事前の訓練や適応なしで人類誰でも感動するような音楽
適応→一定の訓練を受けると感動できる音楽
自己解体→適応不可能な音楽
と説明された。なるほどーと思うけど疑問もある。ここからは感想ですが、この3つのモデルは相対的なもので、音楽の位置づけは3つのモデルを浮動すると思う。だってガムランとかバッハとかいきなり聞いて感動するか?しないと思う。すべての音楽は初体験ならほとんどが適応か自己解体の所に位置付けられると考える。でも慣れて自分の中に体系ができるにしたがって、本来の方にシフトしてくんじゃないかな。で、本来の方にシフトしやすい音楽ってのが名曲と言われるのでは。
16ビートが人類最強の音楽らしいという話もしていた。一理ある。例として流された曲は多分フュージョンだけど超かっこいいよね。でもこれはサンバとか能とかにもすでにあったらしく、遺伝子にプログラムされてる可能性があるんだって。16ビートを激しく感じる曲って私も好きだったな。例えばこいつ。
IIDX 3rd style – Schlagwerk (DPA) Autoplay – YouTube
サンバも好き
DJ Mass MAD Izm* – Beach-Side-Bunny – YouTube
第10回
ガムランとケチャを例にとって、報酬系や懲罰系が共同体に与える影響を考える回。正直報酬系の果たす役割は全然わからんかった。懲罰系のネガティブフィードバックについては全然言及されんかったし。
ガムランとケチャが16ビートをはっきりと刻んでいて、それが分業によって容易に達成されるということはわかった。ケチャおもしろいねービートだけではなくて旋律もあるのね。西洋音楽慣れした立場からすると、旋律はよくわからんのでビートだけに着目しちゃうけどね。
エレクトリック音楽が付点八分を多用するのって16ビート感出すためだったのね。
第11回
ガムランがトランス状態を引き起こすことと、どのようにしてバリ島の共同体を自己組織化するかについて。今回も後者については全然わからんかったけど、高周波と集団心理のせいでトランスする確率がめっちゃ高いことはわかった。
脳波を計測するくだり、だいぶ大変だったと思う。でもそのヘッドギアほしいです。音ゲーやってたら同じようなトランス状態になると思うんですよ。あれ16分音符メインだし頭を考えないようにすることが本質だし、ディープに世界に入り込むことは儀式と共通してるはず。だから脳波測定機ください。毎日1時間ゲーセンに行きますので。
第12回
MIDIと電子楽器とサンプリングレートの話。だいたい知ってることだったけど昔のことをいろいろ思い出した。MIDIの登場でモジュール型の電子楽器が隆盛したのが90年代の最初の方?SC-88proが出たころだよね。私も小学校のとき、お年玉を3年貯めてSC-88VLというモジュールを買い、その音質の良さに大変感動したものだった。つってもサンプリングレート22kHzなんだけど、スーファミが精一杯だった時代からすると電子楽器の革命という感じだった。せっかく買ったので耳コピやら作曲やらいろいろやってた。私はアレンジはできるが作曲自体は不得意だったので、友達に譜面書いてもらって打ち込みと録音を担当してCD-Rに焼いて友達に返すってことを中学校の時によくやってた。
そんなことはさておきMIDIって127段階のパラメータなのね。255じゃないんだ。上位1ビットは何に使っているんだろうな。
シンセサイザーの仕組みの所もなつかしい。浪人時代に名古屋・大須でぼろい中古のシンセサイザーを買って、名古屋市立中央図書館でシンセサイザーの仕組みの本を借りて音いろいろ作ってたなあ。
あとスーパーソニックエフェクトをこの回でも推してるけど、本当にプラスの効果ばっかなのか?ちょっと疑わしい気がする。
第13回
イトゥリのムブティの子供たちが歌う歌と、12音技法の比較を通して人類にインプットされている音楽とは何かを考える回。ムブティの歌は16ビートだし16世紀のヨーロッパの楽曲とも構成が似ているとの指摘。クラシック音楽が何気に「民族音楽」と分類されていたことが面白かった。
12音技法は以前から思考偏重のゴミだと思っていたけど、やっぱりゴミだった。12音全てを平等に扱い、1ループ内に意地でも同じ音を出してやらないようにするという理論のこと。西洋音楽理論では旋律や和音の組み合わせに限界があるから、新規性を求めて生み出されたらしいが、そんなんだったら原理的に常に新しいホワイトノイズでも聞いてろって思う。生物の定常・適応・自己分解モデルの中だと自己分解に分類されることが示唆される。適応無理だよなこんなん。
第14回
熱帯雨林が人間の根源だって話と、ハイパーソニックエフェクトを推す話。
熱帯雨林のところは人間の進化の過程の話だからわかるとしても、満員電車の音に熱帯雨林の環境音から抽出した高周波を添加したらストレス指標が減ったとか、高周波浴びたらなんでもいい感じになるってのはどうにもうさん臭くて信じられない。報酬系のところを刺激するってのはわかったけどそれによって何か不都合が生じたりしないのか?
音環境から高周波がカットされているからストレス社会になってるとか、高周波を添加したら人間のかけてるところが補えるとか、そういうのもちょっと飛躍があってついていけない。
新しい技術とか、科学的根拠がまだ確定していないことって慎重になってしまう。自然食品とか、電磁波とか、そういう疑似科学とは違うんだろうけど、どうしても抵抗がある。
第15回
本田先生と仁科先生の講義がちょこっとあって、あとは各講義のまとめ。
本田先生は例の高周波成分を医療に役立てようという話をした。熱帯雨林型の音環境にすればいろいろ疾病が治るんじゃあないか、人間ではなく環境を変えていこうぜということ。一理はある。人間を変えても元に戻ってしまうことの方が多い。そういうのは環境の問題だ。
仁科先生は脳科学の怪しい知見についての警告のはなしをした。人間は脳の10%しか使ってないとか(北斗の拳?)男性脳女性脳とか。こういうのはごく一部分で得られた知見を一般化したにすぎず、過度な一般化はやめようねという話だった(それはハイパーソニックエフェクトでもいえる気がするけど)。
一部危険な気がしたけど刺激的でとても面白い講義でした。先生方ありがとうございました。
“放送大学全科目感想 006 音楽・情報・脳(’17)” への1件の返信